
外需主導の成長によって目覚ましい発展を遂げてきたベトナムは、東南アジアで最も成長が期待される市場のひとつだ。一方で、米国への輸出依存や現地調達率の低さ、低付加価値分野への偏重などを課題として抱え、ベトナム政府は経済成長モデルへの転換を求められている。国内需要の増加、産業の高度化に積極的な政策を打ち出すベトナムは、日系・外資企業にとってさらなる魅力をもつ市場になりつつある。本コラムでは、現地進出を成功させるための人材戦略について紐解いていく。
目次
ベトナムは“成長市場”か“難所”か?進出企業が直面する現実
過去10年間において平均6~7%のGDP成長率を維持するベトナム市場は、人口の約70%が35歳以下という若年層中心の豊富な労働力を擁し、有望な進出先として日系・外資企業の注目を集め続けてきた。特に製造業を中心とした外資誘致が進み、日系企業の拠点数も安定して増加傾向にあり、今では2,543社にも上る(2024年時点)。
| 2019年 | 2020年 | 2021年 | 2022年 | 2023年 | 2024年 |
| 1,944 | 2,120 | 2,306 | 2,373 | 2,394 | 2,543 |
これまでの経済成長は製造業の輸出が中心となっており、日系・外資の進出企業においても、特にコスト優位の製造拠点として選ばれてきた。一方で、主たる輸出相手国である米国に依存する経済成長モデルはリスクも大きく、トランプ政権による通商政策の変更では大きな衝撃を受けている。ベトナム政府及び企業は新たな成長モデルへの転換を迫られており、輸出相手国の拡大、産業の高度化、内需の拡大などに注力する方向へ動く。
注目すべきは、政府による外国直接投資(FDI)の促進だ。2024年には、過去最高の実績を記録し、総FDIは382億3,000万ドルに達した。さらに2025年第一四半期には、前年度同期比7.2%増、49億6,000万米ドルを記録している。具体的な施策としては、特定業種(IT、ハイテク、製造業など)や地域(工業団地、経済特区など)に投資する外国企業に対する税制優遇措置や、外資企業の設立手続き簡素化などとなる。加えてインフラ整備、労働法の改正、貿易手続きのデジタル化など、投資環境の整備も進んでいる。今年8月には住友商事が、ハノイ北部地域でスマートシティの建設に乗り出すと発表。総事業費42億ドルに上る大規模プロジェクトは、生活水準を高めるベトナムの内需拡大をねらった取り組みとして話題を集めている。こうした背景もあってか、IT・デジタル分野やEV関連といった新興産業への投資も加速している印象だ。JAC ベトナム進出において同国進出企業とかかわる中でも、関連人材のニーズの拡大を感じている。
採用動向においては、ベトナム北部と南部で明確な傾向の違いがある。ハノイ・ハイフォンなどの都市が位置する北部では、製造業・建設業を中心に日系企業の進出が活発だ。特に自動車部品、電子機器、インフラ関連など、技能労働者のニーズが高い。また最近では中国・台湾・韓国企業の大型投資も増加しており、技能職の獲得競争が激化している。
こうした競争環境の中で、日本人を含む日本語スピーカーへのニーズが高まりつつある。これは、現地スタッフとの橋渡しや品質管理、顧客対応などの中核業務を担える即戦力として期待されているためであり、駐在員の派遣が難しくなっている昨今では、現地採用による高度人材の確保が戦略的に求められている。特に日本企業文化に精通した人材は、現地マネジメントとの意思疎通や業務遂行において重要な役割を果たすことが期待される。
ホーチミン・ビンズオンなどの都市が位置する南部ではIT、サービス、物流など多様な業界の企業が進出しており、その事業に関わる専門人材の獲得競争が激化している。中小企業の進出も目立ち、柔軟な採用戦略が求められる。具体的には、求職者のスキルや志向に合わせた業務内容のカスタマイズ、契約形態の多様化(契約社員・プロジェクトベースなど)、スピードを重視した選考プロセスなどが挙げられる。これらの取り組みは、特に中小企業において、限られた予算や人事体制でも競争力のある採用を実現するために有効である。
求職者側では、特に営業・マーケティング分野の人材の流動性が高い。これは、企業側のニーズが継続的に高いことに加え、職種特性と求職者のキャリア志向が影響している。営業・マーケティング職は成果が数値で可視化されやすく、転職によって給与やポジションの向上を狙いやすい職種であるため、優秀な人材ほど複数社からオファーを受ける傾向が強い。企業側も即戦力を求める傾向があるため、引き抜きや条件提示が活発になり、結果として流動性が高まっている。
なお、北部・南部を問わず、会計士、ITエンジニア、技術職などの専門職に対するニーズは高くある。特に中小企業にて、現地で即戦力として活躍できる日本語対応可能な人材や、日本企業文化に精通した人材の採用を検討するケースは増加傾向にある。これは、駐在員の派遣が難しくなっている中で、現地採用による高度人材の確保が、企業の安定運営に直結するためである。自社から派遣する駐在員のリソース確保が難しくなっている今、現地採用による高度人材の需要は今後さらに高まると予想される。
採用と定着のリアル 見えにくい課題
ベトナムでは、若く優秀な人材ほど転職市場で流動性が高い。給与だけで人材を引き留めることは難しく、日本と異なる雇用文化や求職者の志向の理解なしには、採用ができたとしても人材の定着は困難と言える。キャリア志向の強いベトナムの若い労働者は自己成長機会や就労環境の良さを重視するため、それを踏まえて自社の総合的な魅力(企業文化、成長機会、評価制度など)を伝えることが人材の定着につながる。また、そうした働き方の違いもあり、現地マネジメント層の育成は容易ではなく、日本式の業務スタイルとのギャップ、意思決定のスピード感、責任感の醸成など、企業が直面する課題は多岐にわたる。
成功企業の共通点は、人材を「育てる」視点を持っていること
採用後の人材定着に成功している企業ほど、現地での安定運営ができている印象だ。そうした企業は共通して、以下に真摯に取り組んでいる傾向が強い。
社員ビジョンの共有:「来年はこの業務を任せたい」といった成長の方向性を明示した上で、人材に長期的な将来像を描かせている
業界標準に合わせた給与提示:地域別の給与水準を参考に、適正な報酬体系を構築している
評価制度の明確化:成果に応じた昇進・昇給の仕組みを整備し、モチベーションを維持している
ジョブエンリッチメント:単調な業務から脱却し、やりがいのある職務設計を行っている
例えば、製造業のA社では、かつて離職率の高さを課題に抱えていた。改善策として現地採用のエンジニアに対して明確なキャリアパスを明示し、3年後には評価基準を満たした人材をマネージャー職に昇格させる形に制度を変更。評価基準を満たすことで、着実に昇進につながる組織体系が評価を得た結果、離職率は大幅に改善。現地拠点の安定運営につながったという事例がある。
現地企業との人材競争と差別化戦略
ベトナムでは都市部を中心に、人材獲得競争が年々激化しており、給与水準や福利厚生、キャリア形成の機会などが、求職者の選択に大きく影響している。日系企業においても「選ばれる企業」になるための差別化が急務となる。現地の労働市場や人材動向に関してアクセスがない場合は、人材紹介会社などの専門機関と連携を検討するのも有効だ。当社では次のような支援をしている。
市場動向の把握:地域別の給与水準や転職傾向など、最新の労働市場トレンドを知ることができる
採用戦略の設計支援:職種や業界ごとの採用手法についてノウハウが得られる
定着支援:採用後のフォローアップや、評価制度の設計支援などのサポートを受けることができる
実際に、ある日系企業では現地採用のマネージャーが定着しないという課題を抱えていた際、人材紹介会社との連携を選択した。現地の就労志向に即した職務設計やキャリアパスの見直しを実施した結果、離職率が改善し、現地拠点の業績も安定したという事例がある。
また、人材紹介コンサルタントとして企業に深く入り込み、企業側の担当者と求職者と密にコミュニケーションをとる中で、次のような取り組みも有効だと感じる。
企業文化の発信:日本企業ならではの安定性や育成文化を、現地人材に伝える工夫
柔軟な働き方の導入:フレックスやリモート勤務など、若年層の価値観に合わせた選択肢の提供
キャリア支援制度の整備:研修制度や社内公募制度など、成長機会に貪欲な若年層のニーズを満たす仕組みづくり
現地人材の声を反映した制度設計:定期的なフィードバックをもとにした、制度や運用の改善
こうした取り組みが、単に人材を「採る」だけでなく、優秀な人材に「選ばれる企業」としての魅力を高めることにつながっている。
人材戦略が経営成果に与えるインパクト
人材戦略は、企業の財務的成果に直結する重要な経営要素だ。特にベトナムのような海外拠点では、採用・定着・育成の質が、現地法人の収益性やブランド力に大きく影響する。
ある日系企業では、かつて採用後1年以内の離職率が30%を超えていた時期があった。1人あたり約80万円の採用コストや教育投資が無駄になるだけでなく、現場の生産性や士気の低下にもつながっていた。そこで同社は、採用基準の見直しと入社後3ヶ月間のオンボーディングプログラムを導入。その結果、離職率は15%以下に改善し、年間で数百万円〜1,000万円規模のコスト削減につながった。
また、別の企業では、現地マネージャー層の育成に注力したことで、1人あたりの業務生産性が前年比で約18%向上。同じ人員数でもより多くの案件を処理できるようになり、営業利益率の改善にも寄与した。
このように、人材戦略は「見えにくいコスト」を抑え、「見えにくい価値」を生み出す中長期的な投資であると言える。経営層がこの視点を持つことで、採用活動は単なる人事部門の業務ではなく、企業全体の成長戦略の中核として位置づけられるようになる。
人材を「育て、ともに成長する」視点が、企業としての成長にもつながる
変化の激しい海外市場において、企業の競争力を支えるのが「人」であることは間違いない。現地企業・外資系企業との人材獲得競争が激化する中で、優秀な人材を確保するためには、単なる経営資産として採用するのではなく、人材を「育て、共に成長する視点」を持つことが重要だ。
「選ばれる企業」になるために、現地の文化や労働市場を理解し、長期的な視点で人材を育てることが、10年後の競争力を左右する。
「アジア・マーケットレビュー」2025年9月15日号 掲載記事
この記事の担当コンサルタント

入社以来、JAC Recruitment 名古屋支店で一貫して大手製造業領域を担当。中でもモビリティ最大手企業へのサポートを得意とする。AI/IoT、DX等の先端技術案件・グローバル案件を中心に、ミドル・ハイクラスをサポート。2024年の9月よりJAC Recruitment Vietnam ホーチミン支店にて支店長を務める。ベトナムの採用やマーケット情報に詳しい。